ここからは発達障害についてのお話を。
さて、前回まではうつになるまでの過程をつらつらと書いてきましたが今回からしばらくは私の持っている発達障害についてのお話をしようと思います。
御覧の方の中には当事者・関係者の方もいらっしゃるでしょうが、どちらにも当てはまらない方は「発達障害」という言葉を聞いてどのような印象をもたれますでしょうか?
私はADHD・LD(と傾向としてはASDもあり)をもっています。ちなみに
ADHA→注意欠陥多動性障害
LD→学習障害
と言い換えることができます。(ASDは自閉スペクトラム、アスペルガー症候群)
私の幼少期の記憶の振り返りに付き合っていただきつつ、発達障害が実際にはどのようなものなのか知っている人も知らない人も理解を広めていってくれればと思います。
私の中の一番古い記憶は幼稚園入園の直前、2年保育だったので3.4歳ごろ?でしょうか。毎日毎日繰り返しとなりのととろのビデオ(古!)を毎日何時間も繰り返し繰り返し観続けていました。好きなものに固執する特徴はこのころから発現していたようです。
もしビデオがないとどうなっていたのか?
一日中泣く→怒る→喚くの無限ループです。
好きなものに固執といえば、天気は関係なくずっとシルバニアファミリーの長靴を履き続けていました。何でといわれると説明できないのですが自分の中の「こだわり」に従って行動しないと納得出来ないわけです。
こだわりと聞くと、
豆にこだわったコーヒー
とか
素材にこだわったオーガニックコットンの洋服
とかいろいろあると思うのですが、上記のようなものであればお客様に喜ばれるとかメリットがありますが発達障害による「こだわり」とは
寝る前には必ずうどんを食べないといけない
とか
服は全部赤色じゃないとダメ
とか周りから見ると???となるような謎ルールを独自に持っていてそれをこなさないと一日を無事に過ごすことが難しいようなものをいいます。
(↑のものはあくまでもただの例なのでみんながみんな同じような考えなわけではありません。)
そこに私の事例を当てはめると、
外出時は決まった長靴をはく
家にいるときは必ずとなりのととろのビデオを見続ける
だったわけです。
こだわり以外の特徴でいえば
大きな音・特定の映像などを極端に怖がる
トイレトレーニングがなかなかできない
でしょうか。
大きな音に関しては、具体的に言うと雷の音や掃除機がダメでした。表現するのが難しいですが、これらの音を聞くと子供ながらにこの世の終わりのような気分にさせられたのは覚えています。
特定の映像に関しては、なぜかメガネの三城(関東では名前が違うんですよね?)のCMが異常に怖くついでに最後に流れる「メーガーネーのー三城―♪」の曲?部分も怖く、チャンネルを変えてもらうか耳と目をふさぐなどしないと耐えられないほどでした。
なんで?と思うでしょ?親にもあきれられていましたが理由などないのです。ただ不愉快なんです。特有の感性のようなものがあるのでしょか?
トイレトレーニングに関してですが、どんな感覚があるとトイレに行くのかが理解できず気づくと出ている。といった感じでした。
トイレに行きたくなったら「トイレ」て言うのよ!
と何度言われても、その「トイレに行きたい」という感覚とやらが分からないのですから覚えられるはずがありませんでした。
ではなぜ今現在の私ができるようになったのか、ズバリ、猫のトイレシーンを見せられ
ほら、猫でもこうやってトイレするのよ?
と言われたからです。(笑)この部分は全く記憶にないので大きくなってから親に言われたことですので真偽のほどは・・・?といった感じですが。
あとは幼稚園に入ってからの話だと集団行動ができない、仲間の輪に入ることができませんでした。
具体的に言うとほかの子が遊んでいるところに行って
遊ぼ!
がいえないなんて言うのは序の口で、そもそもマイルールに則ってしか遊びたくない若しくは一人っきりで遊びたい子供でしたから「みんなで一緒に」の概念が存在しないわけです。
人形遊びやおままごと、追いかけっこもマイルールなのでそれができないとギャー!!っと癇癪を起して泣きわめく始末です。当然一人また一人と近づかなくなっていくわけです。それでも割と平気だったのでなかなか強い子でした。(空気読んでないだけ!)
集団になってできないこととしてもう一つ、食事です。
食事は普通に家庭でなら摂れているのにみんなの同じ時間に食べ始めて、終わる時間までみんなで一緒、しかも残してはいけないと制約がつくとさあ大変。
なんで食べたくないのに食べないといけないの?
からのギャー!!っと癇癪ではなく、ここではシクシク泣き続けました。
食べられない場合の救済措置として飼っている亀にあげることが許されていたので、よく亀たちにお世話になりました。ありがとう、亀たち!(うん10年前なので今はダメなところ多いんじゃないでしょうか?)
それでも何とか2年は乗り切りましたが・・・
続きはまた次のブログで。
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