思いのほか順調に運んだ高校生活、その後から現在に至るまで。
人生で初めて多くの友達に囲まれ青春を感じることができた高校生活でしたが、そのままウキウキの気分で入学した大学。高校と同じように楽しい大学生活になると信じて疑わなかったのですが期待を裏切られ続けるのがわが人生の宿命のようです。
最初はうまくやれていたんです。高校の時の要領で近くに座ったこの連絡先を聞いて交換して、何となく
あ、いい輪が作れそうな感じ!
とか思っていたのですが、なんだか徐々に違和感を覚え始めました。どんな違和感化というと、地元の友達のような少々陰湿な感じといいましょうか。
友達のふりをして陰でこそこそと愚痴を言ったり、仲間に入れない、少しずつ距離をとっていくような嫌な感じです。言い方が悪いかもしれませんが女の嫌なところを凝縮したような人間関係でした。自慢したり(自分自身のことではない)、見下したり、本当にやっていることが成人に近い人間のやつことなのかと聞きたくなるようなことで、じわじわと精神の大事な部分を削られていくようなそんな気分でした。人間関係を気付くのがうまいほかの人なら問題なく程よい距離感をとれたのかもしれませんが、発達障害の悲しいところは0か100といったような極端な選択をしがちで、嫌な人とも関係を築くことができない人が多いのです。私自身もその例に漏れません。嫌なものとは全く係を持つこともできず排除しないと気が済まないのです。ただこの場合はお互いにそういう考えだったようで、一方的にというものではなく全方位から離れていく感じでしたが。
成績はあまり悪くなかったのですが上記のようなことで徐々に居場所がなくなり、孤立し、学校へ行くことが億劫になり、登校ができなくなりました。
その時も結構陰でこそこそ言われていたらしく、その言葉でも傷つきました。友達とも思っていないくせに、こちらのことはのけ者にするくせに、裏切らた顔をするのだけはうまい人たちでした。そこから本格的に人間不信になっていったように思います。
結局学校をやめそれまで勤めていたバイト先のみ続けることにして大学時代の人間関係はすべて断ち切ることにしました。今現在も誰一人連絡は取っていないし来ない状態です。さっぱりした気分ですが。
そのままどこかの学校に編入することもなく、何となく紹介された職場で働き続け、ミスの多さや空気の読めなさ・こだわりの強さから自分自身の発達障害の可能性に気づき30歳を超えてから心療内科を受診し診断を正式に受け現在に至る感じです。
正社員ですが特に給料がいいところに就職ができたわけではなく(配慮はしてもらえていますが。)、鬱になってしまったので現在はそもそも職場にすら行けていないのが現状なわけです。
これで終わりなんですが、なんか読み返すと本とつまんない人生です。申し訳なくなってきた(笑)
自己紹介のような内容は今日でおしまいなので、次からは持っている病気の詳しい紹介などしていきます。 見て頂ければ幸いです
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