皆さんこんにちは!
今回は少しいつもと違う内容になるのですが、短めなので読んでみてください。
ケーキの切れない非行少年たちというのは本のタイトルです。
少年院で児童精神科医としていろいろな入所者(非行少年たち)を見てきた宮口幸治という方が書いた本書ですが、何も知らずにニュースでの情報だけでしか少年犯罪の犯人について知りえない私にとっては衝撃的というかなるほどと納得できる部分が結構ありました。
タイトルにもなっている「ケーキの切れない」とはいわゆる知能の発達検査の項目で、紙に書いた丸をケーキに見立てて三等分にしなさいというものがあるのですがこれができない入所者が非常に多いと。
多分ほとんどの方は多少線がずれたりすることはあってもどうすれば三等分に出来るかは想像は付くと思います。
ただ、少年院に入ってくる非行少年たちは意味が理解できず真横に線を引いただけだったり「ト」の字状に線を入れている子が非常に多いと。
これはどういうことかというと、何らかの支援が本来は必要であるにもかかわらずその枠から零れ落ちている子どもたちであるということを意味しているのです。
境界領域も含めた知的障害又は発達障害があり、身に着けているはずの年齢相応の想像力対応能力が欠如しているということなんですね。
非行に走った人間を擁護するつもりは毛頭ありませんが、まっとうな支援を受けることができ社会から受け入れられて育ってきた障害児たちと、能力の低さを個人の努力不足ととらえられ受けるべき支援を受けられず社会からも孤立しているとだんだんと自分の居場所がなくなり自暴自棄になることもあるのかなと。あるいは、判断力や想像力が年齢に追い付いていないせいでしてもいいことや悪い事というのが本当の意味では理解できていないのだろうなと。
誤解なきように言っておきますが障害があるからといって犯罪発生率が上がるわけではありません。私自身発達障害がありますが犯罪行為をしたこともない警察のお世話にもなったことはありません。
なので犯罪は犯した人間がやはり一番悪いのです。そこだけは絶対に揺るぎませんので。
何らかの障害により年齢相応の想像力などが身についていない場合は、この本の表現を借りれば「反省以前」であるわけですが、反省とはいったい何でしょうか。
人間は反省しろといわれるとしていようがしていまいが反省のポーズを見せたり、理解したフリって出来てしまうわけですよね。
その場しのぎを繰り返してきた人生であればなおのことそういったことができる人間になるでしょう。
ならばどうやって本当の意味で反省できる人間を育てるのでしょう。
この本で紹介されているのは認知トレーニング(コグトレ)を行おうということなのです。
コグトレ®(Cog-Tr)は、認知 ○○ トレーニング(Cognitive ○○ Training)の略称で、3つのトレーニングで構成されています。
https://cog-tr.net/cogtr/coget/
↑がコグトレの詳しい方法ですが、ソーシャルトレーニング以外はお家で出来そうなものです。
なるべく早い段階で取り組めるに越したことはないですが、何歳からでも始めることは可能です。必要な社会性を身に着けるのであれば特にソーシャルトレーニングは必須でしょう。
障害があっても適応できればはみ出すことなく生きていけます。それは結果的に誰にとっても得になるのではないでしょうか。
ケーキの切れない非行少年たちは文庫本・漫画で発売されています。
興味のある方は読んでみてくださいね!
いかがでしたか?
障害と犯罪は必ずしもイコールではありませんが、犯罪を起こさせないためには学校以外の勉強も時には必要になります。
その大切さが教育現場でこそ理解されてほしいと心から願っています。
ではまた~!
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