スポットの当たらないきょうだい児、その苦しみとは
皆さんこんにちは!
今回はあまりスポットの当たってこなかった「きょうだい児」についてお話ししたいと思います。
きょうだい児とは?と思われる方もいらっしゃると思いますが、とても大事な話なのでぜひ読んでみてください!
きょうだい児?なにそれ、初めて聞いたんだけど・・・
という方もいらっしゃるかと思いますのでまずきょうだい児の説明からしていきたいと思います。
きょうだい児とは、自分の兄弟姉妹に何らかの障害のある、いわゆる障害者のきょうだいのことです。
意味としてはそのままなのであまり難しくはないと思います。
きょうだい自身は障害者ではなく健常者であり、その目線からいろんなことを感じいろんな問題にぶち当たることもあると最近ではようやくスポットが当たりつつあります。
きょうだい児として育つとどのような弊害があるのでしょうか。
↑でもお話した通り「きょうだい児」そのものにスポットが当たり始めたのはほんの数年の間で最近のことなんです。
今でこそSNSや当事者の会が発足し、お互いの悩みを相談しやすい環境づくりがなされてきていますが、ほんの少し前までは身内に障害者がいるという話をするのはタブーに近い扱いだったようです。
特に精神疾患のあるきょうだいがいるというのは偏見も生みやすく、施設に入れて存在を隠していたということすらあったようです。
ではなぜ今になってきょうだい児のための環境整備や情報発信がなされるようになり、表に出てくるようになったのでしょうか。
きょうだい児の問題が今取り上げられ始めているのは、健常者同士のきょうだいにはない悩みを抱えて生きてきたことを言える世の中になり始めているというのがまず大きいと思います。
障害者への理解の深まりとともに、障害者の話ももっとオープンにしていこうという風潮がありますし、話すことでまた理解が深まっていくという循環が起きているのです。これはいい傾向です!
しかし障害当事者への理解が深まるのと同じ速度できょうだい児への理解が深まっている、ケアが行き届いてきているという風には言えないと思います。
例えば、
・障害者のきょうだいがいることで親が必然的にそちらにかかりきりになり自分はかまってもらえなかった。
・障害者のきょうだいがいることで自分も偏見の目で見られた
・きょうだいに対しての否定的感情を相談できる相手が身近にいない
・きょうだいに手がかかるので、いつも親の言うことを聞く「良い子」でなくてはいけなかった
・大きくなっても結婚しようとなるときょうだいが気になって気が引けてしまう
など、きょうだい児であるが故の辛さというのは当事者同士でないとなかなか理解しあえない部分が大きいのです。
障害者に対しての人権の話や、障害者自身の大変だった話は前々からクロースアップされてきましたがきょうだいに関しては我慢するのが当然や支えてあげないなんて冷たいといった周囲の偏見に苦しめられていたように感じます。
不本意かもしれませんが、障害があって大変だねと言われる障害者本人よりもきょうだい児のほうが自分の時間や意見を制限されてつらい立場だったのではないかなと。
なぜこんなことを言うのかと言いますと、私自身がきょうだい児でした。私は兄がいますが兄には発達障害(診断は受けていませんが超濃厚)と癲癇(診断あり)がありました。親の方針で診断が下っても特に配慮なんかも求めずに過ごさせていました。
兄は小学校のころ、自分が遊びたければ休み時間が終わっても一人で校庭で遊び続け、授業中も落ち着きがなく気に入らないことがあるとそれが過去のことであってもその相手を殴りつけました。
癲癇の発作も家学校問わず起こしていたのでそのたびに親は病院に駆り出され、搬送先が遠いと次の日まで帰ってこないこともありました。私は家に一人きりです。
そのおかげであ!あいつ○○の妹だぜ(クスクス)と、兄の同級生とすれ違うたびに後ろ指をさされ笑われたのです。私は笑ってくる相手なんて知らないのに。
毎日毎日知らない人から笑われ、指をさされ馬鹿にされて心の底から怒りと共になんでこんな奴のきょうだいなんだろうと殺意を覚えていました。
でもそれは誰かに相談することは出来ませんでした。親は兄に手いっぱいだったので自分で出来ることは一通り自分でやるようにしたし、友人にもきょうだいに何らかの障害があるからという子がいなかったので何がどう嫌なのか、どう困っているのか説明がうまくできなかったんです。
今は私自身が障害者手帳をとり障害者として認定されています。もちろん、説明しても自分の障害を認めてくれる人ばかりじゃないし発達障害というのはまだまだ偏見も多いのですが、それに比べてもきょうだい児として扱われることのほうが自分としては辛かったです。
「私自身」ではなく「障害者の身内の子」というフィルターをかけてみられていたので、自分の承認が誰からも得られ無い感じがしていました。何のためにいるのかわからない、兄の付属としての存在価値しかない人間、そんな風に思っていたんです。
みんながみんな私と同じ心境だとは言いませんが、きょうだい児として生きなければならないのは結構きついです。自分が障害者として生きるようになってなおの事そう思います。
きょうだい児が身近にいた場合、どのように接すると良いのでしょうか。
私自身の経験から言うと
・「きょうだい児」としてではなく「その人個人」を見る
・親の都合のいい道具として扱わない
・きょうだいへの負の感情も認めてあげる
この3つは大事だと思います。
・きょうだいに障害があっても、障害者のきょうだいとしてではなくその人個人を理解してあげてください。きょうだいのために生きているわけではないし、きょうだい同士でも別人格です。
・親はきょうだいに手がかかる分言うことを聞いて手伝いもしてくれる理想的なきょうだい児が欲しいと思うかもしれませんが、それは親のエゴです。その子にはその子の人生があります。無意識にでも抑圧してコントロールしようとするのではなく、思ったこと、やりたいことを選択できるような方向にもっていってあげてください。
・みんながみんなきょうだいに対して負の感情を持っているとか仲が悪いとかいうつもりは無くて、持っていること気付いてもそれを否定せずに穏やかに聞いてあげてほしいです。障害者本人も差別や偏見の対象として苦しんでいますが、そのきょうだいも人知れず苦しんでいます。本音をどこかで吐き出せるように受け入れられる環境を作ってあげましょう。
いかがでしたか?
マイナスな事ばかり書いていますが、どこの家庭でもみんな障害のあるきょうだいに対して否定的になるわけでもないし、仲が悪くなるわけでもないです。その点だけはご留意ください!
きょうだいとして生まれたのは逃れられない運命ですが、どうやって生きていくのかは誰にも決められないし決めてはいけないと思っています。
もっと自由に生きられる選択肢が障害者にもそうでない人にも増えていくといいなとつくづく感じています。
ではまた~!
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